2012年3月7日水曜日

真白衣

田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける 赤人 万葉集 3-318

たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける     
田兒之浦 従 打 出 而見 者 真白  衣 不盡能高嶺 尓 雪 波零 家留
たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ

田子の浦にうち出でてみれば白たへの富士の高嶺に雪はふりつつ    新古今・百人一首

注1:衣は万葉仮名の「そ」の一つ。
注2:万葉集でしろたへのは白妙之、白妙能が普通。

2010年2月25日木曜日

万葉歌木簡3 京都府木津川市の馬場南遺跡


 秋萩の下葉もみちぬあらたまの月の経ゆけば風をいたみかも 10/2205
 あきはぎのしたばもみちぬあらたまのつきのへゆけばかぜをいたみかも
 阿支波支乃之多波毛美智


読売新聞1 読売新聞2

2009年2月1日日曜日

難訓歌 莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 その2

自分の解読の都合のいいように原文の字は誤りだとする説も多いが好感を持てない。むしろ、原文は正しいとしてあくまで万葉仮名読みに徹し、古代日本語の起源の一つになった可能性のある外国語で解読するアプローチの方に惹かれる。以下はその一つ。

【ポリネシア語による井上政行氏の解読】
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/kokugo07.htm#%82Q%81m1-9%81n

 莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣  吾瀬子之射立為兼五可新何本
 なごえりしたさうなゑそゆけ わがせこがいたたせりけむいつかしがもと
  
「ナ・(ン)ゴ・アウエ・リ・チ」、
NA-NGO-AUE-RI-TI(na=belonging to;ngo=cry,grunt;aue=expressing astonishment or distress,groan;ri=bind;ti=throw,cast,overcome)、
「嘆きと・疲労が・一緒になった・ようなもの(溜息)が・吐き出された(場所の)」

(「(ン)ゴ」のNG音がG音に変化して「ゴ」となり、その語尾のO音と、「アウエ」のAU音がO音に変化したその語頭のO音と連結して「ゴエ」となった)

「タタウ・ナワイ・トイ・フケ」、
TATAU-NAWAI-TOI-HUKE(tatau=repeat one by one;nawai=denoting regular sequence of events,presently,for some time,for a while;toi=move quickly,encourage,incite;huke=dig up,excavate)、
「何回も・休み休み・力を振り絞って・土を掘った(自分の死体を埋める穴を掘った。場所の)」

(「ナワイ」のAI音がE音に変化して「ナヱ」と、「トイ」の語尾のI音と「フケ」のH音が脱落した語頭のO音が連結して「トユケ」から「ソユケ」となった)

すなわち、この歌の「吾が背子」とは斉明紀4年11月条にみえる紀国藤白坂で絞首された有馬皇子を指し、「厳橿が本」とは皇子にその木の下に穴を掘らせ、そこで絞首した後下に落として埋葬した穴のある「厳橿の根本」であったと考えられます。

紀によれば斉明天皇は同年10月15日に紀温湯に行幸、翌年正月3日に還幸されていますが、その間の11月5日に有馬皇子の謀反が発覚、9日に紀温湯に護送され、同日大海人皇子の尋問を受け、11日に絞首されていますから、この歌は随行した額田王が帰京の途中で藤白坂において万感を込めて詠んだものでしょう。(岩波書店新日本古典文学大系『万葉集』第2巻付録月報(96号。2000年11月)に伊藤博筑波大学名誉教授が「省却」と題する随想の中で[1-9]歌の「我が背子」は通説の大海人皇子ではなく有馬皇子と断定しておられます。)

【日本語の起源】
日本語の起源について系統論(親言語の枝分かれ説)は暗礁に乗り上げているという。日本語にこれはという一人の親が見つからないのだ。最近、大河は小さな川が集まって成立するように日本語もいくつかの外国語が重層的に集まって成立した言語ではないかと見る学者が多くなってきた(1)。日本語と文法構造や単語の音韻対応で偶然の一致の域を越えた外国語がいくつかあるとされている。しかし研究者間で幅がある。彼らは自分の説に都合のいい単語群を恣意的に集める傾向があるからだ。朝鮮語、ポリネシア語、タミル語などによる古代日本語の解読作業の論文や本が散見される(2)(3)。数十の外国語を対象にした統計的な研究ではインドネシア語、カンボジア語、ビルマ語などが日本語とかなり関係が深いと分析している(4)。サンプルの単語が100と200と少ないのでサンプル数をもっと増やせば信頼性も増してくるかも知れない。

(1)日本語の起源 新版 大野晋
(2)日本語の真実ータミル語で記紀、万葉集を読み解く 田中孝顕
(3)日本語の真実ーポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源 井上政行
 http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/kokugo07.htm#%82Q%81m1-9%81n
(4)日本語の誕生 安本美典・本多正久

2009年1月29日木曜日

難訓歌 莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣




万葉集 巻第一・九番

 幸于紀温泉之時額田王作歌 (きのゆにいでまししときぬかだのおおきみのつくれるうた)
  莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 ( ? ? ?  )
   吾瀬子之射立為兼五可新何本(わがせこがいたたせりけむいつかしがもと)

 莫囂圓隣之      大相七兄爪謁氣
 ゆふづきの      あふぎてとひし(仙覚)
 ゆうづきの      かげふみてたつ(伊丹末雄)
 ゆふづきし      おほひなせそくも(代匠記精選本 里中満智子支持)
 夕月し        雲な覆ひそ(及川牧夫)
 いざよいの      あふぎてとひし(久下司)

 きのくにの      やまこえてゆけ(真淵 斎藤茂吉支持)
 みもろの       やまみつつゆけ(鹿持雅澄)
 真土山(まつちやま) 見つつこそ行け(井上通泰)  
 まがりの       たぶしみつつゆけ(土屋文明)
 みよしのの      やまみつつゆけ(尾山篤二郎)
 
 さかどりの      おほふなあさゆき(粂川定一)
 ふけひの       うらにしつめ(浦西詰)にたつ(宮島弘)  
 ゆふどりの      うらなきさわぎ(阪口保)
 泣かまくも      慕ひこそ行け(福沢武一)
 
 しづまきの      ゆみにつらはけ(松岡静雄)
 しづまりし      ゆふづつしろし(佐藤美知子)
 しづまりし      うらなみさわく(澤瀉久孝)
 しづまりし      かみなりりそね(土橋利彦)
 しづまりし      たぶらつまたち(川口美根子)  
 しづまりし      ゆふなみにたつ(間宮厚司)
 しづまりし      大相(たま、たづ)なにさわぐ(田中孝顕)

原文:
京都大学附属図書館所蔵 万葉集(近衛本)
京都大学附属図書館所蔵 萬葉集(曼朱院本))
 
参考:
(1)萬葉集略解 上 藤井乙男
(2)新訓万葉集 上 佐佐木信綱
(3)額田王の万葉集九番歌の訓について 桂重俊   

2008年10月17日金曜日

万葉歌木簡2 明日香村の石神遺跡


万葉集の和歌が書かれた木簡が明日香村の石神遺跡で出土した。7世紀後半の木簡で今までで最古。

 朝なぎに来寄る白波見まく欲り我はすれども風こそ寄せね      07/1391
 あさなぎにきよるしらなみみまくほりわれはすれどもかぜこそよせね
 朝 奈藝尓来依 白浪  欲見   吾雖為    風 許増不令依

木簡には、上句の阿佐奈伎尓伎也(あさなきにきや)留之良奈尓麻久(るしらなにまく)と二行に書かれている。


読売新聞

2008年5月23日金曜日

万葉歌木簡1 紫香楽宮



万葉集(759-)と古今和歌集(905)の和歌が書かれた木簡、紫香楽宮(742-745)跡から発見される!
朝日新聞(写真) 毎日新聞 読売新聞 東京新聞


 安積香山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに 
 あさかやまかげさへみゆるやまのゐのあさきこころをわがおもはなくに 
 阿佐可夜       流夜真     万葉集(16/3807) 葛城王釆女

 難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花 
 なにはつにさくやこのはなふゆごもりいまははるべとさくやこのはな
 奈迩波ツ尒  夜己能波  由己         古今和歌集仮名序


 木簡に釆女が歌のにじむ仮名  
 万葉の釆女うたひし言の葉の水茎しるく残る木簡  春蘭

2008年5月10日土曜日

万葉集百首撰 


巻一
0007 秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の宮處の仮廬し思ほゆ   額田王
0008 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな  額田王
0015 渡津海の豊旗雲に入日さし今夜の月夜清明くこそ       中大兄
0018 三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや    額田王
0020 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る     額田王
0021 紫のにほへる妹を憎くあらば人づまゆゑに吾恋ひめやも  大海人皇子
0024 うつせみの命を惜しみ波にぬれいらごの島の玉藻刈り食む
0028 春過ぎて夏来るらし白たへの衣ほしたり天の香具山     持統天皇
0030 ささなみの志賀の辛崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ  柿本人麻呂
0037 見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまたかへり見む   同
0048 東の野にかきろひの立つ見えてかへりみすれば月西渡きぬ     同
0049 日並の皇子の尊の馬並めて御猟立たしし時は来向ふ        同
0051 采女の袖吹きかへす明日香風京を遠みいたづらに吹く    志貴皇子
0078 飛鳥の明日香の里を置きていなば君が辺は見えずかもあらむ 元明天皇

巻二
0105 わが背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露にわが立ちぬれし  大伯皇女
0107 あしひきの山のしづくに妹待つと吾立ちぬれぬ山のしづくに 大津皇子
0108 吾を待つと君がぬれけむあしひきの山の雫にならましものを 石川郎女
0111 いにしへに恋ふる鳥かもゆづる葉の御井の上より鳴き渡り行く弓削皇子
0112 いにしへに恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし吾が思へるごと 額田王
0114 秋の田の穂向きのよれる片よりに君によりなな言痛かりとも 但馬皇女
0116 人言をしげみ言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る       同
0121 夕さらば潮満ち来なむ住吉の浅香の浦に玉藻刈りてな    弓削皇子
0133 ささの葉はみ山もさやに乱げども吾は妹思ふ別れ来ぬれば 柿本人麻呂
0141 磐白の浜松が枝を引き結びまさきくあらばまたかへり見む  有間皇子
0142 家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る      同
0223 鴨山の岩根しまける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ 柿本人麻呂
0231 高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人無しに 笠朝臣金村

巻三
0255 天ざかる鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ  柿本人麻呂
0266 淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ      同
0267 むささびは木末求むとあしひきの山の猟男にあひにけるかも 志貴皇子
0270 旅にして物恋しきに山下の赤のそほ船沖をこぐ見ゆ    高市連黒人
0318 田兒の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける 赤人
0328 あをによし寧楽の京師は咲く花のにほふがごとく今さかりなり 小野老
0337 憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれ彼の母も吾を待つらむぞ 山上憶良
0415 家にあらば妹が手まかむ草枕旅に臥やせるこの旅人あはれ  聖徳太子
0416 ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ  大津皇子

巻四
0488 君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く  額田王
0597 うつせみの人目を繁み石走り間近き君に恋ひわたるかも    笠女郎
0598 恋にもぞ人は死にする水無瀬川下ゆ吾痩す月に日に異に      同
0650 我妹子は常世の国に住みけらし昔見しより変若ましにけり  大伴三依

巻五
0793 世間は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり  大伴旅人
0802 瓜食めば子等おもほゆ栗食めばましてしのはゆいづくより
      来りしものぞまなかひにもとな懸りて安眠し寝さぬ    山上憶良
0803 銀も金も玉も何せむにまされる宝子に如かめやも         同
0893 世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば   同

巻六
0909 山高み白木綿花に落ちたぎつ瀧の河内は見れど飽かぬかも   笠金村
0919 若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る   山部赤人
0925 ぬばたまの夜のふけゆれば久木おふる清き河原に千鳥しば鳴く   同
0957 いざ兒等香椎の潟に白たへの袖さへぬれて朝菜つみてむ   大伴旅人
0994 振仰けて若月見れば一目見し人の眉引きおほゆるかも    大伴家持
1018 白玉は人に知らえず知らずともよし知らずとも
      我れし知れらば知らずともよし             元興寺僧
1039 吾背子と二人しをれば山高み里には月は照らずともよし  高丘河内連

巻七
1068 天の海に雲の波立ち月の船星の林にこぎ隠る見ゆ     柿本人麻呂
1096 いにしへの事は知らぬを我見ても久しくなりぬ天の香具山     
1107 泊瀬川白ゆふ花に落ちたぎつ瀬を清けみと見に来し吾を
1161 家離り旅にし在れば秋風の寒き暮に雁鳴きわたる

巻八
1418 石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子
1424 春の野にすみれつみにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜宿にける 山部赤人
1427 明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪はふりつつ   同
1439 時は今は春になりぬとみ雪ふる遠山のべに霞たなびく   中臣武良自
1484 ほととぎすいたくな鳴きそ独ゐて寝の宿らえぬに聞けば苦しも 坂上郎女
1494 夏山の木末の繁にほととぎす鳴き響むなる声のはるけさ   大伴家持
1500 夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ  坂上郎女
1552 夕月夜心もしのに白露のおくこの庭にこほろぎ鳴くも     湯原王
1593 隠口の泊瀬の山は色づきぬ時雨の雨は降りにけらしも    坂上郎女    
1606 君待つとわが恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く  額田王
1658 吾背子と二人見ませばいくばくかこのふる雪の嬉しからまし 光明皇后
1663 沫雪の庭にふりしき寒き夜を手まくらまかず一人かも宿む  大伴家持

巻九
1664 夕されば小椋の山に臥す鹿の今夜は鳴かず寐ねにけらしも  雄略天皇
1736 山高み白ゆふ花に落ちたぎつ夏身の川門見れど飽かぬかも  式部大倭
1791 旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天の鶴群
1796 もみち葉の過ぎにし子らとたづさはり遊びし磯を見れば悲しも 人麻呂

巻十
1812 ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも
1938 旅にして妻恋すらしほととぎす神名備山にさ夜ふけて鳴く

巻十一
2482 水底に生ふる玉藻のうちなびき心は寄りて恋ふるこのころ 柿本人麻呂
2523 さ丹つらふ色には出でず少なくも心のうちにわが思はなくに
2610 ぬばたまの我が黒髪を引きぬらし乱れてさらに恋ひわたるかも
2802 あしひきの山鳥の尾の垂り尾の長々し夜をひとりかも寝む

巻十二
2907 ますらをのさとき心も今は無し恋の奴に吾は死ぬべし 
2951 海石榴市の八十のちまたに立ち平し結びし紐を解かまく惜しも 人麻呂
3034 吾妹子に恋ひ術なかり胸を熱み朝戸あくれば見ゆる霧かも

巻十三
巻十四
3399 信濃道は今の墾道刈株に足ふましなむ履はけ吾背
3475 恋ひつつもをらむとすれど木綿間山隠れし君を思ひかねつも
3504 春べ咲く藤の末葉のうら安にさ寝る夜ぞなき子ろをし思へば

巻十五
3608 天離る鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ     人麻呂
3610 阿胡の浦に船乗りすらむ娘子らが赤裳の裾に潮満つらむか     同
3617 石走る瀧もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば京都しおもほゆ 大石蓑麻呂
3638 これやこの名に負ふ鳴門の渦潮に玉藻刈るとふ海人娘子ども 田辺秋庭
3724 君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも 狭野弟上娘子
3772 帰りける人来れりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて    同

巻十六
3816 家にありし櫃にかぎさし蔵めてし恋の奴のつかみかかりて  穂積親王
3853 石麻呂に我れ物申す夏痩せに良しといふ物ぞ鰻漁り食せ
3857 飯喫めど甘くもあらず行き往けど安くもあらず
      あかねさす君が情し忘れかねつも            佐為王婢

巻十七
3900 織女し船乗りすらしまそ鏡きよき月夜に雲立ち渡る     大伴家持
3911 あしひきの山べにをればほととぎす木の間立ち漏き鳴かぬ日はなし 同
3970 あしひきの山桜花ひと目だに君とし見てば吾恋ひめやも      同

巻十八
4045 沖べより満ち来る潮のいや増しに吾が思ふ君が御船かも彼  大伴家持
4070 一もとのなでしこ植ゑしその心たれに見せむと思ひ初めけむ    同
4072 ぬばたまの夜渡る月を幾夜経と数みつつ妹は吾待つらむぞ     同

巻十九
4139 春の苑くれなゐにほふ桃の花した照る道に出で立つをとめ
4149 あしひきの八峰の雉鳴き響む朝明の霞見ればかなしも
4217 卯の花を腐す長雨の水始による木積なすよらむ兒もがも
4225 あしひきの山のもみちにしづくあひて散らむ山道を君が越えまく 家持
4290 春の野にかすみたなびきうらがなしこの夕かげにうぐひす鳴くも  同
4291 わが屋戸のいささ群竹ふく風の音のかそけきこの夕かも      同
4292 うらうらに照れる春日に雲雀あがり情悲しも独しおもへば     同

巻二十
4305 木の暗の繁き尾の上をほととぎす鳴きて越ゆなり今し来らしも  家持
4337 水鳥の立ちの急ぎに父母に物言はず来にて今ぞ悔しき  有度部牛麻呂
4346 父母が頭かき撫で幸く在れていひし言葉ぜ忘れかねつる  丈部稲麻呂
4357 蘆垣の隈處に立ちて吾妹子が袖もしほほに泣きしぞ思はゆ 刑部直千國
4401 唐衣裾に取りつき泣く子らを置きてぞ来のや母なしにして  舎人大島
4451 うるはしみ吾が思ふ君はなでしこが花に比へて見れど飽かぬかも 家持
4468 うつせみは数なき身なり山川の清けき見つつ道を尋ねな      同
4471 消残りの雪に合へ照るあしひきの山たちばなをつとに採み来な   同
4483 移り行く時見るごとに心いたく昔の人し思ほゆるかも       同
4493 始春の初子の今日の玉箒手に執るからにゆらく玉の緒       同
4516 新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事         同

 
参考文献
(1)万葉集検索
(2)たのしい万葉集
(3)新訓万葉集 上下 佐々木信綱著 (*歌の表記はこれに従う。)
(4)萬葉集略解 上下 加藤千蔭著 藤井乙男編

2008年4月15日火曜日

難訓歌 乱友・邑禮左變 

○小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆(一三三 柿本人麻呂)

乱友の訓みが定まらない。みだるとも、みだれども、まがへども、さやぐとも、さやげども、さわげども等。間宮氏はさわけどもと訓む。

 ささのははみやまもさやにさわげどもわれはいもおもふわかれきぬれば 橘千蔭
 ささの葉はみ山もさやに乱(さや)げども吾は妹おもふ別れ来ぬれば   信綱
 笹の葉はみ山もさやに騒けども我は妹思ふ別れ来ぬれば         間宮
 小竹(ささ)の葉はみ山も清(さや)に乱(さわ)けども吾は妹思ふ別れ来ぬれば 私訳


○不念乎 思常云者 天地之 神祇毛知寒 邑禮左變(六五五 大伴駿河麻呂)

邑礼左変の訓みが定まらない。礼は社の誤字とする説あり。間宮氏は国こそ境へと訓む。
 
 おもはぬをおもふといはばあめつちのかみもしらさん△△△△△△△  橘千蔭
 思はぬを思ふといはば天地の神も知らさむ邑禮左變           信綱
 思はぬを思ふと言はば天地の神も知らさむ国こそ境へ          間宮
 念はぬを思ふと云はば天地の神祇(かみ)も知らさむ邑(くに)こそさかへ    私訳


参考文献:間宮厚司『万葉集の歌を推理する』

2008年4月11日金曜日

難訓歌 我待君之

○山之葉尓 不知世経月乃 将出香常 我待君之 夜者更降管(一〇〇八 忌部首黒麻呂)

「我待君之」は返読表記であることを先駆者は気づかず。

 山の端にいさよふ月の出でむかと我が待つ君が夜は更けにつつ    賀茂真淵
 やまのはにいさよふつきのいでんかとわがまつきみがよはくだちつつ  橘千蔭
 山の端にいさよふ月の出でむかとわが待つ君が夜はくたちつつ   佐佐木信綱
 山の端にいさよふ月の出でむかとわが待つ君が夜は降(くた)ちつつ  中西進
 山の端にいさよふ月の出でむかと吾が君待ちし夜は更けにつつ    佐佐木隆
 山のはにいさよふ月の出でむかと我(われ)君を待ちし夜は更けにつつ  私訳


参考文献:佐佐木隆『万葉集を解読する』ほか、各万葉集注釈本

難訓歌 東野炎

○東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡(四八 柿本人麻呂)

佐佐木隆『万葉集を解読する』では徹底的な用例による検証で外に用例がない訓み方を排除する。それはそう読みたい、そうあってほしいとする訳者の個人的な願望にすぎないとする。かくして権威者の賀茂真淵と追随者の訓み方は一部排除された。

 あづま野のけぶりの立てる所見てかへりみすれば月傾きぬ    賀茂真淵以前
 東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月傾きぬ  賀茂真淵
 ひむがしのぬにかぎろひのたつみえてかへりみすればつきかたぶきぬ  橘千蔭
 東の野にかきろひの立つ見えてかへりみすれば月西渡(かたぶ)きぬ   信綱
 東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ     中西進
 東の野らに煙は立つ見えて返り見すれば月傾きぬ          佐佐木隆
 東の野らに炎(けぶり)の立つ見えて反り見為(す)れば月西渡きぬ   私訳

私訳は漢字かな表現の選択の恣意をなくす試み。
 1 原文の表意の漢字(正訓字)はそのまま生かす。
 2 正訓字を別の同訓・同義の漢字に変えない。
 3 原文の表音の漢字(万葉仮名)はひら仮名で表記する。
 4 万葉仮名の部分は漢字化しない。


参考文献:佐佐木隆『万葉集を解読する』ほか、各万葉集注釈本 

2008年4月6日日曜日

万葉集の翻訳は本当にあっているのか

万葉集の原文付きの翻訳(訓み下し)を読んでいて、ふとそう思った。素人目にも違うんじゃないかと思う箇所もほの見える。われわれは、古来から権威者が訓み下し(訓詁)注釈を加えて解読してきたものを疑うことなく読んでいる。同じ疑問のもとに万葉集の原点に立ち返ろうと叫んでいるらしい本にいくつか出逢った。早速読んでみよう。

 佐佐木隆『万葉歌を解読する』 書評
 古橋信孝『誤読された万葉集』
 間宮厚司『万葉集の歌を推理する』

2008年4月4日金曜日

歌の読み下し文について


たとえば、万葉集巻第十六の三七八六の原文と読み下し文を四つの文献から抜き出してみると、

○春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞           (1)(2)

 はるさらはかさしにせむとわかおもひしさくらのはなはちりにけむかも (1)
 春さらば挿頭にせむとわが思ひし桜の花は散りにけるかも       (2)
 春さらば挿頭にせむとわが思ひし櫻の花は散りにけるかも       (3)
 春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散りにけるかも      (4)
  
(1)では春、去る、挿頭(かざし)、我、念う、櫻、花、散るの漢字もすべてひら仮名化されている。(2)と(3)では去る、我がひら仮名化され、念うが思うに変わっているなど、万葉集の読み下しの漢字仮名交り文は本によってみな違う。

<原文で表意の漢字はそのまま残し、表音の漢字(万葉仮名)はひら仮名にする>という方針で表記したら原文に忠実と言えるのではないか。そうすることで著者の恣意(漢字にするかひら仮名にするかのいい加減な判断)は避けられるだろう。

 春去らば挿頭にせむと我念ひし櫻の花は散りにけるかも (私訳)       

最後の一つ前、大友家持の歌、巻第二十の四五一五ではどうか。

○秋風乃 須恵布伎奈婢久 波疑能花 登毛尓加射左受 安比加和可礼牟    (2)

 あきかぜのすゑふきなびくはぎのはなともにかざさずあひかわかれむ  (4)
 秋風のすゑ吹き靡く萩の花ともに挿頭さずあひか別れむ        (2)
 秋風のすゑ吹きなびく萩の花ともに挿頭さず相か別れむ        (3)
 秋風の末吹き靡く萩の花ともにかざさず相か別れむ          (4)

大部ひら仮名が多くなったがきらいではない。
 秋風のすゑふきなびくはぎの花ともにかざさずあひかわかれむ (私訳) 

参考文献:
(1)京都大学附属図書館所蔵 重要文化財 『万葉集(尼崎本)』巻第十六
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ma9/image/ma9lhf/ma9lh0005.html
(2)中西進『万葉集 全訳注原文付』講談社
(3)佐佐木信綱『新訓万葉集 上下巻』岩波書店
(4)万葉集テキスト検索システム
http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/MANYOU/manyou_kensaku.html

まずは歴史漫画で時代背景を


日出処の天子 聖徳太子物語   1ー8  山岸凉子
天上の虹 持統天皇物語     1ー20 里中満智子
長屋王残照記          1ー3  里中満智子
女帝の手記 孝謙・称徳天皇物語 1ー5  里中満智子

そして、直木孝次郎『万葉集と古代史』で大雑把に学術的な整理をしておこう。

正述心緒 寄物陳思

正述心緒 寄物陳思