○小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆(一三三 柿本人麻呂)
乱友の訓みが定まらない。みだるとも、みだれども、まがへども、さやぐとも、さやげども、さわげども等。間宮氏はさわけどもと訓む。
ささのははみやまもさやにさわげどもわれはいもおもふわかれきぬれば 橘千蔭
ささの葉はみ山もさやに乱(さや)げども吾は妹おもふ別れ来ぬれば 信綱
笹の葉はみ山もさやに騒けども我は妹思ふ別れ来ぬれば 間宮
小竹(ささ)の葉はみ山も清(さや)に乱(さわ)けども吾は妹思ふ別れ来ぬれば 私訳
○不念乎 思常云者 天地之 神祇毛知寒 邑禮左變(六五五 大伴駿河麻呂)
邑礼左変の訓みが定まらない。礼は社の誤字とする説あり。間宮氏は国こそ境へと訓む。
おもはぬをおもふといはばあめつちのかみもしらさん△△△△△△△ 橘千蔭
思はぬを思ふといはば天地の神も知らさむ邑禮左變 信綱
思はぬを思ふと言はば天地の神も知らさむ国こそ境へ 間宮
念はぬを思ふと云はば天地の神祇(かみ)も知らさむ邑(くに)こそさかへ 私訳
参考文献:間宮厚司『万葉集の歌を推理する』
2008年4月15日火曜日
2008年4月11日金曜日
難訓歌 我待君之
○山之葉尓 不知世経月乃 将出香常 我待君之 夜者更降管(一〇〇八 忌部首黒麻呂)
「我待君之」は返読表記であることを先駆者は気づかず。
山の端にいさよふ月の出でむかと我が待つ君が夜は更けにつつ 賀茂真淵
やまのはにいさよふつきのいでんかとわがまつきみがよはくだちつつ 橘千蔭
山の端にいさよふ月の出でむかとわが待つ君が夜はくたちつつ 佐佐木信綱
山の端にいさよふ月の出でむかとわが待つ君が夜は降(くた)ちつつ 中西進
山の端にいさよふ月の出でむかと吾が君待ちし夜は更けにつつ 佐佐木隆
山のはにいさよふ月の出でむかと我(われ)君を待ちし夜は更けにつつ 私訳
参考文献:佐佐木隆『万葉集を解読する』ほか、各万葉集注釈本
「我待君之」は返読表記であることを先駆者は気づかず。
山の端にいさよふ月の出でむかと我が待つ君が夜は更けにつつ 賀茂真淵
やまのはにいさよふつきのいでんかとわがまつきみがよはくだちつつ 橘千蔭
山の端にいさよふ月の出でむかとわが待つ君が夜はくたちつつ 佐佐木信綱
山の端にいさよふ月の出でむかとわが待つ君が夜は降(くた)ちつつ 中西進
山の端にいさよふ月の出でむかと吾が君待ちし夜は更けにつつ 佐佐木隆
山のはにいさよふ月の出でむかと我(われ)君を待ちし夜は更けにつつ 私訳
参考文献:佐佐木隆『万葉集を解読する』ほか、各万葉集注釈本
難訓歌 東野炎
○東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡(四八 柿本人麻呂)
佐佐木隆『万葉集を解読する』では徹底的な用例による検証で外に用例がない訓み方を排除する。それはそう読みたい、そうあってほしいとする訳者の個人的な願望にすぎないとする。かくして権威者の賀茂真淵と追随者の訓み方は一部排除された。
あづま野のけぶりの立てる所見てかへりみすれば月傾きぬ 賀茂真淵以前
東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月傾きぬ 賀茂真淵
ひむがしのぬにかぎろひのたつみえてかへりみすればつきかたぶきぬ 橘千蔭
東の野にかきろひの立つ見えてかへりみすれば月西渡(かたぶ)きぬ 信綱
東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ 中西進
東の野らに煙は立つ見えて返り見すれば月傾きぬ 佐佐木隆
東の野らに炎(けぶり)の立つ見えて反り見為(す)れば月西渡きぬ 私訳
私訳は漢字かな表現の選択の恣意をなくす試み。
1 原文の表意の漢字(正訓字)はそのまま生かす。
2 正訓字を別の同訓・同義の漢字に変えない。
3 原文の表音の漢字(万葉仮名)はひら仮名で表記する。
4 万葉仮名の部分は漢字化しない。
参考文献:佐佐木隆『万葉集を解読する』ほか、各万葉集注釈本
佐佐木隆『万葉集を解読する』では徹底的な用例による検証で外に用例がない訓み方を排除する。それはそう読みたい、そうあってほしいとする訳者の個人的な願望にすぎないとする。かくして権威者の賀茂真淵と追随者の訓み方は一部排除された。
あづま野のけぶりの立てる所見てかへりみすれば月傾きぬ 賀茂真淵以前
東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月傾きぬ 賀茂真淵
ひむがしのぬにかぎろひのたつみえてかへりみすればつきかたぶきぬ 橘千蔭
東の野にかきろひの立つ見えてかへりみすれば月西渡(かたぶ)きぬ 信綱
東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ 中西進
東の野らに煙は立つ見えて返り見すれば月傾きぬ 佐佐木隆
東の野らに炎(けぶり)の立つ見えて反り見為(す)れば月西渡きぬ 私訳
私訳は漢字かな表現の選択の恣意をなくす試み。
1 原文の表意の漢字(正訓字)はそのまま生かす。
2 正訓字を別の同訓・同義の漢字に変えない。
3 原文の表音の漢字(万葉仮名)はひら仮名で表記する。
4 万葉仮名の部分は漢字化しない。
参考文献:佐佐木隆『万葉集を解読する』ほか、各万葉集注釈本
2008年4月6日日曜日
万葉集の翻訳は本当にあっているのか
万葉集の原文付きの翻訳(訓み下し)を読んでいて、ふとそう思った。素人目にも違うんじゃないかと思う箇所もほの見える。われわれは、古来から権威者が訓み下し(訓詁)注釈を加えて解読してきたものを疑うことなく読んでいる。同じ疑問のもとに万葉集の原点に立ち返ろうと叫んでいるらしい本にいくつか出逢った。早速読んでみよう。
佐佐木隆『万葉歌を解読する』 書評
古橋信孝『誤読された万葉集』
間宮厚司『万葉集の歌を推理する』
佐佐木隆『万葉歌を解読する』 書評
古橋信孝『誤読された万葉集』
間宮厚司『万葉集の歌を推理する』
2008年4月4日金曜日
歌の読み下し文について
たとえば、万葉集巻第十六の三七八六の原文と読み下し文を四つの文献から抜き出してみると、
○春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞 (1)(2)
はるさらはかさしにせむとわかおもひしさくらのはなはちりにけむかも (1)
春さらば挿頭にせむとわが思ひし桜の花は散りにけるかも (2)
春さらば挿頭にせむとわが思ひし櫻の花は散りにけるかも (3)
春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散りにけるかも (4)
(1)では春、去る、挿頭(かざし)、我、念う、櫻、花、散るの漢字もすべてひら仮名化されている。(2)と(3)では去る、我がひら仮名化され、念うが思うに変わっているなど、万葉集の読み下しの漢字仮名交り文は本によってみな違う。
<原文で表意の漢字はそのまま残し、表音の漢字(万葉仮名)はひら仮名にする>という方針で表記したら原文に忠実と言えるのではないか。そうすることで著者の恣意(漢字にするかひら仮名にするかのいい加減な判断)は避けられるだろう。
春去らば挿頭にせむと我念ひし櫻の花は散りにけるかも (私訳)
最後の一つ前、大友家持の歌、巻第二十の四五一五ではどうか。
○秋風乃 須恵布伎奈婢久 波疑能花 登毛尓加射左受 安比加和可礼牟 (2)
あきかぜのすゑふきなびくはぎのはなともにかざさずあひかわかれむ (4)
秋風のすゑ吹き靡く萩の花ともに挿頭さずあひか別れむ (2)
秋風のすゑ吹きなびく萩の花ともに挿頭さず相か別れむ (3)
秋風の末吹き靡く萩の花ともにかざさず相か別れむ (4)
大部ひら仮名が多くなったがきらいではない。
秋風のすゑふきなびくはぎの花ともにかざさずあひかわかれむ (私訳)
参考文献:
(1)京都大学附属図書館所蔵 重要文化財 『万葉集(尼崎本)』巻第十六
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ma9/image/ma9lhf/ma9lh0005.html
(2)中西進『万葉集 全訳注原文付』講談社
(3)佐佐木信綱『新訓万葉集 上下巻』岩波書店
(4)万葉集テキスト検索システム
http://infws00.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/MANYOU/manyou_kensaku.html
まずは歴史漫画で時代背景を
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